山崎光学の70年


 初代の代表取締役山崎光七は、明治39年に東京市日本橋区室町所在の写真材料商(株)浅沼商会に入社、永年同社に勤務した。当時わが国の営業写真家が使用していた撮影レンズはすべて外国産で価格も甚だ高価であったので、その国産化を企画し大正13年に同社を退き、自営によるレンズの開発・製造を開始した。

 以来国産レンズの完成に身魂を傾け、昭和6年にわが国初の純国産大型カメラ用レンズを完成し市場におくりだした。

戦前の山崎光学工場風景(撮影・土門拳)


 この新製品は高性能と低廉な価格によって国内はもとより朝鮮、満州、支那大陸にまで販路をみいだし、コンゴーレンズの名称でわが国唯一の国産レンズとしてのゆるぎない地位を得ることになる。第二次世界大戦の勃発によって原材料の入手困難のため生産中止のやむなきにいたった時期もあった。


 終戦後はいち早くその生産を再開し、国内の市場確保につとめるとともに貿易再開後は輸出にも努力をかたむけ、北米、中南米、東南アジア、インド、中近東、アフリカ、ヨーロッパ諸国の市場にまで拡販するにいたった。

 写真家の土門拳さんが山崎の光学工場を撮影に訪れたのは戦前のことで、そのとき土門さんが撮った写真は現在でも社宝として保存されている。

 業務の進展に伴い経営組織を変更、昭和30年11月に株式会社山崎光学研究所を設立した。


 その後、東京都中野区の本社工場が老朽化のため昭和47年1月本社、工場を現在地(東京都日野市)に移転し今日に及んでいる。(山崎光学研究所社史より抜粋)


 長年の歴史に育まれた「コマーシャルコンゴー」は現在も多くのプロ・アマチュアのカメラマンに支持され、国内はもとより海外にも多くのファンをもっている。
 1996年6月、東京カメラクラブ(会長 田村彰英)より「大型カメラ用レンズ」について永年貢献の表彰を受けた。



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