宮間利之&ニューハード
30 June 2003
Live 素晴らしきジャズの世界
栄光のニューハード史に輝く5人のサムライ!



 銀座 de music ・日音協シリーズ・素晴らしきジャズの世界が2003 6/30(月 開場 6:00pm 開演 6:30pm)、銀座ヤマハホールで行われた。演奏は「宮間利之&ニューハード」、司会は悠雅彦(ゆう・まさひこ)。
 50年を超える歴史を誇る「宮間利之とニューハード」のミュージシャンのうち在籍20年以上の「サムライ」が5人もいる。今回はこの5人を主にフィーチャーした演奏会である。
 月末、月曜日という特異日にもかかわらず会場はほぼ満席、ビッグバンド・ジャズの人気は衰えるところを知らない。悠雅彦のMCもスムーズで大変好評だった。 CD配布

 プログラム
一 部
M  New Herd Theme
M1 Caravan D・エリントン
M2 Oh! Dear 山木幸三郎作曲
   ローズランドボールルームにて・・
悠雅彦(MC)と坂田稔(Dr)
M3 The Mooche D・エリントン、川村裕司編曲
M4 千秋楽 山木幸三郎作曲

(休憩)

二 部
M5 1975 Monday June 30 本日初演
   C・ベイシーに捧げる・・ 山木幸三郎作曲
M6 In a Sentimental Mood D・エリントン
M7 Dizzy 山木幸三郎作曲
   ディジー・ガレスピーを偲んで・・
M8 死刑台のエレベーター M・デイビス
   映画主題歌(仏)
M9 Water Melon Man H・ハンコック
M10 La Fiesta C・コリア

 予定時間は大幅にオーバーしたがアンコールは18番「ドナ・リー」で締めくくられた。

 5人のサムライ・プロフィール

 山木幸三郎(やまきこうざぶろう)1956年入団。在籍47年。 作編曲家。ギタリスト。1931年、東京生まれ。ニューハードのギタリストとして活躍するかたわら、作・編曲にも精力的にとりくみ多くの作品を書いてきた。数多くのレコーディングの中には、各種の賞を獲得したものも多く、 日本のビッグバンドを国際水準にまで引き上げた。特にニューハードには新感覚の作、編曲で宮間利之のパワフルなニューハードサウンドを盛り上げ、日本のみならず本場アメリカにも多くの「山木ファン」を持っている。。現在最も信頼されているコンポーザーである。

 片岡輝彦(かたおかてるひこ) 1967年入団。在籍36年。Tb。1939年1月大分県生まれ。ノーチェ・クバーナ、シャープ&フラッツ、ブルー・コーツを経てニューハードに入団。東欧(ハンガリー、ユーゴスラビア、ニース)、インド、モンタレー、ニューポート、N.Y.JVC Jazz Festivalに出演、絶賛を浴びる。ニューハードのリードトロンボニストとして活躍している。

 坂田稔(さかたみのる) 1980年入団。在籍23年。Drums。1945年6月熊本県生まれ。渡辺辰郎クインテット、尾田悟カルテットなどを経てニューハードに入団。ニューハードのドラマーとして、また自己バンドのリーダーとしても活動。内外のコンサートを通じて海外アーティストとも共演。ドラムに関する著書も多く、後進の指導にも熱心で学生に囲まれる機会も多い。

 大野憲一郎(おおのけんいちろう) 1982年入団。在籍21年。B.Sax,Fl。1937年1月秋田県生まれ。27歳でプロとして活動。高校2年でクラリネットを手にする。卒業後上京、就職、北区吹奏楽団に所属。その後8年のブランクを経てアルトサックス奏者としてプロ入り。芦田ヤスシ、千葉薫バンドを経て大野憲一郎バンドを結成。ニューハードのバリトンサックス奏者として活躍中。

 川村裕司(かわむらゆうじ)1982年入団。在籍21年。T.Sax, Sop.Sax,Fl。1954年5月帯広市生まれ。函館ラサール学園卒業後上京、恵比寿ヤマハ、ネム音楽院にて山口真文、渡辺貞夫に師事。ピットイン等ライブハウスで活動後、1980年渡米。帰国後ニューハードに入団。東欧ツアー、Jazz エイドなどコンサート、TBS「ザ・ベストテン」等にレギュラー出演。2001年N.Y. JVC J azz Festivalに出演。ソリスト及びアレンジャーとして活躍中。東京新大久保ミュージックスクール「ダ・カーポ」講師。

 リーダー宮間利之(みやまとしゆき)
 1921年千葉市生まれ。戦後すぐ解禁になったジャズ界に入り、「ジャイブエーセス」を結成、1958年子羊の群れ「ニューハード」と改称し、TV・レコード界にデビュー。たちまちトップ・ビッグバンドの地位を固める
 以来日本でもユニークな、正統派モダンジャズを中心に意欲的な創造活動を展開。モンタレー・ジャズ祭に日本から初出演、最高の栄誉賞を受け、世界の「宮間利之とニューハード」の名声を得る。最近では平成12年度芸術祭優秀賞を受けるなど数々の輝かしい栄誉を獲得。現在も精力的な演奏活動、新しい作品作りなど第一線で活躍中。

 メンバー
Tp 竹田恒夫・岸義和・菊池成浩・伊勢秀一郎
Tb 片岡輝彦・橋本佳明・溝田聡・岡田澄雄
Sax 今尾敏道(as) 川村裕司(ts) 海付豊(as)
鈴木圭(ts) 大野憲一郎(bs)
Drs 坂田稔 P 鷹野潔  B 増根哲也
Gt 山木幸三郎・塩崎浩二


 演奏曲の由来と背景
 モンタレー・ジャズフェスティバル(1974年9月)
 日本のニューハードが1974年9月20日(金)の夜、モンタレーに出演した。ジャズ史上初めて外国のビッグバンドが米国の主要ジャズ祭でその主役を務めた日である。今まで日本のバンドを単に、物マネがうまいとしか書かなかった評論家たちはこの夜のニューハードの演奏によって、それが誤りであることを思い知らされた瞬間だ。(Lonard Feather:Mon Sept 23, 1974 Los Angels Times 訳文からの抜粋)。

 Dizzy
 ディジー・ガレスピーは宮間利之の力量を早くから見抜きモンタレー・ジャズフェスティバルへの出演のきっかけを作った海外アーティストのひとり。その後、ニューポート、南仏・ニースジャズ祭に出演した際に再会し、宮間利之やメンバーと旧交を暖めたアーティストである。彼に捧げる曲。ガレスピーは1993年他界した。

 ニューポート・ジャズフェスティバル(1975年6月)
 こうして世界に認められた日本のニューハードは、翌1975年6月、今度はニューポート・ジャズフェスティバルに出演、有名なローズランド・ボールルームでカウント・ベーシー楽団と競演した。何百何千というステージをこなしてきた宮間利之もこの時ばかりは、舞台に上がるとき相当緊張したそうだ。ここにはD・エリントン楽団も参加することになっていたが、前年にD・エリントンがなくなったことも影響して楽団の都合で取止めになった。

 Oh! Dear
 このローズランド・ボールルームで山木幸三郎は、カウント・ベイシー楽団のギタリスト、フレディ・グリーンと逢った。「私はニューハードのギタリスト山木です」と自己紹介に及んだとき、フレディ・グリーンが握手しながら最初に発した言葉が "Oh! Dear" であった。帰国後、この時の強烈な印象を曲にしたのが「Oh! Dear」である。

 1975 Monday June 30
 ニューハードがカウント・ベイシーと共演したローズランド・ボールルームの一日の印象を今回書き下ろしたもの。くしくも本日 Monday June 30 が曲名と同じ日で、ここヤマハホールが初演となった。


 千秋楽
 昔の相撲には横綱が4人いました。音で作り上げた4人の横綱のイメージ(山木談)。1970年に作曲、レコーディングされ、芸術祭受賞曲を獲得した。2003年4月26日定期演奏会Live Take14(労音R's Art Court)でコンサート初演。


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