日本製ライカ型カメラ(コピーライカ)
Copy Leica Photo

バルナック型ライカの選び方、使い方」はこれらのカメラの詳しいマニュアルとしても最適です。

  解説
  第二次世界大戦以前の本格的な35ミリカメラは「コンタックス」と「ライカ」がその代表格である。戦後ドイツの敗戦に伴い賠償の一環としてドイツ特許が無効化されて後は各種のコピーライカが製造された(Wikipediaから)。
  何故これほど多くの日本製カメラがコンタックスではなくライカをコピーしたのか。両者とも大変精度の高いカメラであることはいうまでもない。しかし分解図をよく見るとライカに軍配があがることは素人でも容易に想像がつく。コンタックスのメカはギアの塊であり各部の動きの複雑さが見て取れる。メカの専門家ならなおさらだろう。このカメラのコピー、あるいはこれを参考にするには当時(敗戦直後)の日本の精密加工技術ではかなりの困難を伴うことだったのだろう。これに対してライカのメカは大変シンプルであり同じ性能なら躊躇(ちゅうちょ)する余地はなかったのではないか。しかしよくメンテされた両者は素晴らしい性能を発揮することは歴史が証明しているし、製造過程の難易度などはユーザーには無関係なことである。
  コピーの元はライカIIIC
  大戦後発売された35ミリカメラの中の「日本製ライカ型カメラ」はライカIIIc型に範をとったものが多い。ライカIIIcは1940年発売の機種で、それまでのボディが板金からダイキャストに変わった点が大きな特徴であり、戦後すぐに販売を再開した本家ライカもスタートは若干改良されたIIIc型だった。
  1954年に発売されたライカM3が長く続いた「バルナック型ライカ」に変わって人気機種となったが、日本では1960年代初めまで旧ライカ型カメラの販売は続いた。1950年代以降の日本製コピーライカは仕上げが美しく精度もライカには及ばないまでも及第点であり、特に価格の点では大いに魅力のある国産カメラとして売れ続けたことは事実である。一本のレンズがライカや多くの他のメーカーのカメラに共通して使えるのは特筆できることである。やがて一眼レフの時代に突入していく過渡期の高級カメラとして歴史の一部を担(にな)ったのがコピーライカである。

  ニコンはライカ型カメラか・・・
  ニコンの最初のレンジファインダー機ニコン1は1948年に発売され、以降ニコンM、ニコンS、ニコンS2を経て1957年に最高級機ニコンSPが発売された。有名な一眼レフニコンF発売の2年前のことである。その後もSPの廉価版ともいうべきS3、S4が少量つくられた。初期のニコン1からS型までの特徴は画面サイズが24mmx34mmという変形サイズで今の35ミリサイズより長辺が2ミリ短かかったが、ニコンS2になってこれが改められ普通のサイズに戻った。ルックスはコンタックッスにうり二つで、バヨネットマウントも同じサイズである。従ってコンタックスの交換レンズが装着はできるがバックフォーカスがわずかに違うため写真を撮ることはできない。25mm超広角レンズだけは焦点深度の関係で使用することができると、どこかで聞いたことがあるが定かではない。ボディ・デザインはコンタックス型にしたものの、メカの一番複雑なシャッター部分はライカ型のシンプルなフォーカルプレーンを採用している。賢明な選択であり、多くの文献がライカ型カメラとして認めている。

  旧型ライカのルックス・・・
  1954年秋に高性能のM3が発売され、旧型ライカの欠点がことごとく改良されたニューモデルは大変な人気だった。一方で旧型ユーザーはM3の性能には異論がないものの、永年親しんできたバルナック型のルックスが失われたことに失望したそうである。ルックスも性能の内という狂信的なファンの意見が強かったのかライツは2年後にライカIIIgを発売した。少し大きいバルナック型のこのカメラは、性能はかなり良くなったがM3には及ばず作られた台数はそう多くない。今なおバルナック・スタイルに人気があることを想えば、M3発売当時のユーザーの失望はわからないでもない。

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