|
調布(ちょうふ) 万葉集(巻14・3373・武蔵国歌)に、 多摩川にさらす手(た)づくりさらさらに 何ぞこの児のここだ愛(かな)しき と、布を晒すかわいい乙女に恋焦がれる様子をうたった詩があります。多摩川に近いこの地域では、古代にその土地の生産物を納める税(調=「みつき」ともいう、調とは税金のこと)として、布を晒(さら)して朝廷に納めたと考えられ、これが調布の名の由来とされています。 たづくり会館はこの詩から取ったものです(ダサッ)。たづくりとは手作りのことです。 飛田給(とびたきゅう) 奈良時代以降、荘園を管理する役人であった飛田氏が領主からこの土地を給田として支給されたことに由来するという説と、天長10年(833)、多摩・入間両郡の境に置かれたといわれる悲田所(古代の貧窮者、孤児の救済施設)の給地(所有地)にちなむという説があります。江戸時代には上飛田給村と下飛田給村に分かれていました。 上石原(かみいしわら)・下石原(しもいしわら) 石原は文字通り、辺りが石原であったということからつけれた地名という説があります。中世の記録に「下石原海老名分」とみえていますが、この下石原は調布の下石原のことと推定されています。 布田(ふだ) 和名鈔(わみょうしょう・平安時代に成立した分類体百科事典)に新田「爾布多(にふだ)」とあったのを、のちに爾を略して布多と書き、さらに「多」を「田」に改めました(新編武蔵風土記稿)が、「府田」「捕陀」と書かれたこともあります。室町時代に、深大寺の住僧、長弁によって書かれた「私案抄」の中には、「布田郷(ふだのごう)」として出てきます。多摩川の対岸にも布田という地名が今でもあります。 小島(こじま) 和妙鈔に「乎之万(こじま)」とあり、大日本地名辞書によれば、布田の小島は当時、染屋(府中市内)から府中にかけてひろがっていた小島郷の名残で、また島という言葉にはこの辺りが多摩川のがけ岸にあったからつけられたのではないかといいます。さらに中世に小島某(なにがし)の所領であったことからついた地名という説もあります。江戸時代から明治期にかけては布田小島分村といいました。 国領(こくりょう) 古代から中世にかけての国衙領(こくがりょう・律令制下の諸国の政庁)がこの地にあったことに由来するとされたり、周辺にトビタ給、アゲ給、給田(きゅうでん・世田谷区内)という地名が残っていることから、これらは中世の給分(鎌倉幕府や荘園領主が御家人や荘官に給与した土地、米、銭などをいう。)と関係のある地名とする説があります。また地元ではコクリュウとよぶ場合もあります。 染地(そめち) この地名は元来、国領町の中に含まれる小字の一つでしたが、昭和41年7月1日に地番整理により、この名が町名となりました。調布の名の由来が律令制度による調として布が納められたことによるとすると、この地名も布に関連するものと考えられます。それというのも染地と似た地名で調布と境を接したところに染屋(府中市内)があり、染地と同様、多摩川原の近くに立地していました。江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』によると、古く調布の布田村で織った多摩川の布をこの地で染めたということです。 佐須(さず) この地名の起こりについては、佐須村の名主、温井三郎左衛門の先祖で、鎮守、虎狛神社の謝辞であった佐須豊後の姓にちなんだという説、また佐須は滞水地域の中の砂州であるといったり、枝から新しい芽が出るのをサスということから、親村に対する分村の意味だという説、さらに、佐須は焼畑を意味する言葉だとする説などがあります。 この辺りを柏の里というのは、深大寺縁起に柏江という所が出てくることから来ていますが、柏は狛の誤りで古(いにしえ)の狛江郷のことであろうともいわれています。 柴崎(しばさき) この名の由来としては、武蔵野特有の柴山から起こったとか、牛馬の放牧地を指した言葉あるいは突端(崎)の船着き場(チバ)という意味のアイヌ語がなまったものなどといわれますが、この他、江戸氏の一族である柴崎氏が居住したことにちなむとする説もあります。 金子(かねこ) この地名は現在はほとんど使われていませんが、佐須町の近くに一区画の土地だけがこの地名を残している所があります。金子という地名は武蔵には入間郡と多摩郡にありますが、多摩郡の金子村は、武蔵野の武士集団である武蔵七党のうちの村山党金子氏が、本拠地である入間郡金子郷から一族を率いて来住した所ではないかともいわれます。今の京王線つつじヶ丘駅はかって金子駅といいましたが、駅名を変えたのはJR八高線に金子駅があるのと、高級住宅地つつじヶ丘のもよりにあるため新駅名としたといわれます。 入間(いりま) 武蔵野歴史地理によると、本来、渓谷の入り込んだ場所を指すといいます。 仙川(せんがわ) 三鷹市新川の勝淵神社近くの湧水地から流れる仙川の名をとって地名としています。湧水源のことを俗に「釜」といいますが、たくさんの釜(千釜)があるというところから、これがなまって仙川となったといいます。またそのあたりにかって住んでいたといわれる仙人にちなむとする俗説もあります。 深大寺(じんだいじ) 湧水の豊富なこの地にまつられた水神、深沙大王(じんじゃだいおう)にちなむといわれる深大寺の寺名より起こり、戦国期には地名として出てきますが、寺名が地名となった時期ははっきりしていません。 |